横浜地方裁判所 昭和37年(ヨ)229号 決定 1963年6月12日
申請人 県誠而
被申請人 富士通信機製造株式会社
主文
申請人が被申請人に対して提起する雇傭契約存在確認及び賃金請求の本案判決確定に至る迄
一、申請人が被申請人の従業員であることを仮に定める。
一、被申請人は申請人に対し二五〇、三六五円及び昭和三八年六月以降毎月二八日限り一七、二四五円を支払え。
一、申請費用は被申請人の負担とする。
(注、無保証)
理由
第一、本件紛争の要旨
一、申請人は昭和三六年四月一日被申請人(以下会社と云う)に雇われ勤労部人事課に勤務していた会社従業員であるが、昭和三七年三月一二日、会社は申請人が会社採用試験の際提出した身上調書の政党及び学外団体所属の有無に関する事項欄に虚偽の記入があり、それが会社就業規則第七五条第二号に該当するとの理由で申請人を懲戒解雇(以下本件解雇と云う)に付し、当時申請人に対し毎月二八日限り支給していた一カ月一七、二四五円の賃金のうち三月分として八、三一〇円を供託したことは当事者間に争いがない。
二、会社の自陳する本件解雇の理由は次のとおりである。
(1) 会社は我国有数の電気通信機メーカーで、日本電信電話公社と通信機械の技術開発、調査、研究について協力関係を持つ公共的性格の企業で、正常な労使関係を維持し産業の平和と生産を確保することに重大な関心を有し、更に申請人のような大学卒業者は将来会社の中枢として人事上、業務上の機密を取扱いやがては有為の経営者たらしめんとする期待を持つものであるから、苟くも思想偏向者及びその虞のあるものは社員適格を有せざるものとし、その銓衡にあたつては過去、現在において共産党ないしはその下部従属機関の活動に従事したことのないことを採用の絶対条件(若し右該当の事実があれば採用しない)とし、採用試験の際右該当の事実ありや否やを質し、更に採用後右事項に詐称あるときは採用取消も異議なき旨を誓約せしめ、共産党員及びその同調者の入社を排除している。
(2) 申請人は昭和三六年九月の採用試験当時、日本共産党及びその下部従属機関である仙台勤労者演劇協議会に所属しておりながら、右事実を秘して身上調書に政党及び学外団体所属の事実なしと虚偽記入をなしていたことが、昭和三七年三月会社の調査によつて判明したので、就業規則第七五条第二号「重要な経歴詐称及び不正入社」に該当するものとして本件解雇に付したものである。
三、以上の事実に基き
申請人は、本件解雇は実質的に憲法第一四条、第一九条、労働基準法第三条に違反する、思想及び信条に関する事項の秘匿は懲戒解雇の事由にあたらない、従つて本件解雇は無効であるから地位保全と更に申請人は給料生活者で他に収入がないから前記供託金を除くその余の賃金の仮払いを求めると述べ、
会社は、如何なる者を如何なる銓衡基準によつて採用するかは会社の自由であり、申請人の挙げる各法条は私企業のなす雇入れに適用さるべきものではない、申請人のなした前記虚偽記入は会社にとつて重大な事項に関し且つ信義則に反する、仮に本件解雇が懲戒解雇として無効であるとしても労働基準法第二〇条但し書による即時解雇として有効である、また会社は申請人の経歴詐称によつて要素の錯誤に陥り申請人を採用したのだから民法第九五条により本件労働契約は当初より無効である、更に会社は申請人の経歴詐称によつて欺罔され申請人を採用したのであるから本件労働契約は取消すと述べた。
第二、当裁判所の判断
一、本件紛争の要点は思想及び信条に関する事実の秘匿が懲戒解雇に値する重大な経歴詐称もしくは不正手段による入社に該当するか否かにある。
二、一般に重大な経歴詐称もしくは不正手段による入社それ自体が懲戒解雇の事由となるかについては議論の多いところであるが、当裁判所としてはこれを次のように考える。
(一) 先ず、使用者が労働者を雇入れるのはその労働力を企業秩序の中に合目的的に組織づけ企業生産の向上に寄与せしめんとするところにあるのだから、もし使用者が労働者の詐称、不正によつてその労働力の評価を誤つて雇入れ、隠蔽された瑕疵ある労働力を企業内に組織づけるならば、それ自体すでに企業秩序を紊し生産を阻害する危険を内包するものであり、使用者がそのような企業に対する危険を常に内包しているところの瑕疵ある労働力を排除するための具体的実害の発生をまたず、詐称不正それ自体を事由としその軽重如何によつてはこれを企業組織外に追放する一方的制裁権(懲戒解雇権)を保持することは、それが労使間における組織規約としての労働協約及び就業規則において定められている限りこれを否定すべき法律上の根拠はない。
(二) そして使用者の保持する懲戒解雇権を右の如く解すれば、懲戒解雇に値する重大な経歴詐称もしくは不正入社とは、使用者をして労働力の評価ひいてはその組織づけを著しく誤らしめる事実を意味し、且つそれは企業組織に対する危険を排除するため認められるものであつて労働契約締結上の信義則違反を理由としてなし得るものではないこと明らかである。
三、ところで思想及び信条に関する事項の秘匿は労働力の評価に重大な関係を有するものであろうか。
元来労働は労働者の人間活動そのものであるから、労働力の評価はその源泉である人そのものに対する価値的判断、即ち人格的判断に迄及ばざるを得ず、人格的判断には当然思想及び信条が一つの要素として関連性を有するものである。
然しそうは云つても労働関係は決して全人格的な支配服従の関係ではなく労働力そのものを中心とした関係であるから、労働力評価の面において労働者に対する価値的判断を云々する場合思想及び信条はその価値判断を形成する他の要素例えば、知能、性格、教養、技能、健康と云つたものに比べはるかに関連性に乏しく重大な意味を持つものではない。
従つて思想及び信条に関する事項の秘匿は、思想及び信条の如何が直接労働の過程即ち、職務の内容とその遂行に影響を及ぼすような特殊の場合を除き、一般的には懲戒解雇に値する程重大な経歴詐称には該当しないと考える。
四、ところで会社は、共産党員及びその同調者は絶対に採用しない方針を定めていたのだから、申請人がその該当事実を秘匿していたことは会社にとつて極めて重大であり、懲戒解雇に値する旨主張する。
然し、一旦労使間に定立された就業規則は労使間を律する一つの法規範として社会的客観的にみてその妥当性を是認し得るように解釈運用さるべきであり、使用者一方の専恣主観に委ねらるべきものではない。
既に述べたとおり思想及び信条の如何は、特殊な例外を除き、労働力の評価にとつて重要な意味を持つものではないから、その如何を採用の基準とすること自体一般的に合理的根拠を持たず、本件においても申請人が如何なる思想信条を抱き如何なる政党に所属しているかは申請人の現在の地位職務と何等内容的に関連性を持たず、また会社の自陳する会社事業の性格、申請人の将来に対する期待がたとえそのとおりであるとしても、それは申請人の現在の思想及び信条の如何と直接関係のないことであり、更に会社の共産党及びその同調者に対する見解の如きは、現在我国において日本共産党が合法政党として認められている限り社会的客観的にみて是認し得るものではない。
五、会社は雇入れの自由を根拠に如何なる者を如何なる基準によつて採用するかは会社の自由であり、労働基準法第三条、憲法第一四条は雇入れに適用がない旨主張するが、形式的にみて本件は雇入れの問題ではなく如何なる経歴詐称が懲戒解雇に値するかの問題であり、更に実質的にみても我国法秩序が憲法を頂点として有機的一体をなしていることを考えれば、およそ合理的根拠のない信条による差別待遇を禁止した憲法第一四条の精神はそのまま民法第九〇条の公序として私人間の労働関係にも顕現せられるべきものであるから、労働基準法第三条の「労働条件」に雇入れが含まれないと云つても、それは会社に合理的根拠のない不平等取扱いの自由を認めたものではない。
六、以上述べたとおり申請人には会社の自陳する事実によつても会社就業規則第七五条第二号に該当する事由はないから、結局本件解雇は懲戒解雇に関する会社就業規則の適用を誤つたものとして無効である。
七、次に労働基準法第二〇条但書による即時解雇の主張について、労働契約の締結が信義に基きなされねばならぬことは云う迄もないが、既に述べたとおり、会社の設定した採用基準そのものが不当であり、たとえ申請人が会社の質問に対して真実を告げず政党及び学外団体所属の事実を秘したとしても、その非は比較的軽微で到底即時解雇に値するものとは云えない。
また錯誤による無効については、既に述べたとおり思想及び信条に関する事項の秘匿は労働力の評価に関係がないから要素の錯誤とは云えず、詐欺による取消については右の理由及び会社の共産党員及びその同調者不採用の条項は申請人に明示されておらず、仮に申請人側でこれを察知して該当事実を秘匿したとしても、それは専ら会社の不当な差別待遇意図に起因するものであるからその違法性を咎めるに当らない。
八、以上のとおり、本件解雇は無効であり、また会社の錯誤及び詐欺に関する主張は認められないから、申請人はなお会社の従業員であるにも拘らず、会社はこれを認めず申請人の就労を拒否して、昭和三七年三月以降供託額を除き賃金の支払をしていない。
そのため給料生活者で他に収入のない申請人が自己の地位の不安と無収入のため著しい損害を蒙つていると認められる。
よつて本件申請はこれを認容することとし、申請費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 森文治 後藤文彦 井野場秀臣)